1)ベクトル制御とはなんですか。
ベクトル制御とは元来,誘導モータのトルク伝達関数を定数化する制御手法として1970年前後に考案されたもので,正式にはField-Oriented Controlと呼ばれます。ベクトル制御という名称は,直流モータのトルク制御が電機子電流といったスカラ量の制御で実現されるのに対し,2つの電流成分,即ち電流ベクトルを制御することによって交流モータのトルク制御を実現することから名付けられたと考えられます。トルク伝達関数を定数化するということは,モータに流す電流とトルクの関係を単なる比例関係にしてダイナミクスをもたせないことを意味し,このためにベクトル制御では誘導モータの電流を二次磁束鎖交数ベクトルに平行な成分(磁束分電流あるいはd軸電流)とそれに直交する成分(トルク分電流あるいはq軸電流)とに分離して二つの電流成分を独立に制御します。このとき,一次磁束鎖交数やギャップ磁束鎖交数ではなく,二次磁束鎖交数ベクトルを基準として誘導モータのd軸電流とq軸電流を制御することが重要です。このため,二次側の漏れインダクタンスの影響を排除してd軸電流により二次磁束鎖交数ベクトルの制御を行い,同時にフレミングの左手則に基づきq軸電流により瞬時トルクの制御を独立して行うことができるようになります。二次磁束鎖交数ベクトルの位相さえわかれば,トルク発生に寄与するq軸の方向がわかりq軸電流を流すことができるので,q軸電流とトルクの関係を単純な比例関係にすることが可能となります。即ち,トルク伝達関数定数化を実現することができ,q軸電流に対して一切過渡現象をもたないトルク制御が可能になるわけです。このように,誘導モータであっても直流モータの電機子電流に基づくトルク制御と同様に,q軸電流制御によって高速なトルク応答を実現することができるようになります。また,比較的高速回転領域で定出力運転を行う場合には界磁弱めを行う必要がありますが,d軸電流によって二次磁束鎖交数ベクトルの大きさを制御することができるので界磁弱めも容易に行うことができます。
誘導モータのベクトル制御には,誘導モータのパラメータと二軸電流指令値を使って二次磁束鎖交数ベクトルの位相をフィードフォワードで与えてd軸およびq軸電流制御を行う間接形ベクトル制御と,二次磁束鎖交数ベクトルを検出したり推定したりして,その位相をもとにd軸およびq軸電流制御を行う直接形ベクトル制御があります。前者は二次磁束鎖交数ベクトルの位相をフィードフォワードで与える際に,フィードバックした回転子の回転角と誘導モータのパラメータおよび電流指令値を使って求めたすべり角を用います。このとき二次抵抗(あるいは二次時定数)の値を使ってすべり角の計算を行うため,誘導モータの温度上昇による実際の抵抗値とコントローラ側で想定した抵抗値との間にミスマッチが生じ,すべり角の計算に誤差が発生する場合が出てきます。このことは正確に二次磁束鎖交数ベクトルの位相をフィードフォワードで与えることができないことを意味しますので,d軸およびq軸電流制御をしても二次磁束鎖交数ベクトルに平行な成分とそれに直交する成分とに分離して制御していることにはなりません。結局,q軸電流とトルクの関係が比例関係でなくなるため,電流に対するトルクの応答に過渡現象や定常偏差が生じてしまいます。そこで,このようなパラメータミスマッチに起因する二次磁束鎖交数ベクトルの位相誤差を補償する手法が数多く研究されてきました。一方,後者は磁束オブザーバなどを使って二次磁束鎖交数ベクトルを直接推定して,それに平行なd軸電流と直交するq軸電流を独立に制御するものです。この場合も,磁束オブザーバにはモータの数学モデルが用いられますのでモータパラメータのミスマッチや数学モデル自身の不正確さに起因した軸ずれの問題は残ります。
1995年頃から誘導モータに代わって永久磁石同期モータのベクトル制御が盛んに研究され,近年では電気鉄道,ハイブリッド自動車,電気自動車,昇降機,工作機械など多くの応用でベクトル制御された永久磁石同期モータが使用されるようになってきました。この永久磁石同期モータのベクトル制御は,前述の誘導モータのベクトル制御を次のように簡略化したものと考えることができます。永久磁石同期モータの場合,誘導モータの二次磁束鎖交数ベクトルの位相に相当する回転子磁石磁束ベクトルの位相はフィードバックした回転子の回転角から直接得ることができます。したがって,すべりを計算したり,磁束ベクトルを推定したりすることなく,回転子磁石磁束ベクトルに平行なd軸電流とそれに直交するq軸電流の制御を行うことができます。このことは,磁束オブザーバの代わりに回転子の回転角センサを用いて回転子磁石磁束ベクトルの位相を計測していることになりますので,誘導モータの直接形ベクトルを永久磁石同期モータに適用したとみなすことができます。一方,同期モータは誘導モータの二次抵抗を零と考え,すべりを零とすることによって同期運転していることに相当しますので,誘導モータの間接形ベクトル制御の特別な場合が永久磁石同期モータのベクトル制御であるとも言えます。
いずれにせよ,誘導モータの場合なら二次磁束鎖交数ベクトル,永久磁石同期モータの場合なら回転子磁石磁束ベクトルと同期したと回転座標におけるd軸およびq軸流制御を行わなければなりません。これは三相二相変換,回転座標変換を用いて静止座標上の三相電流をd軸電流とq軸電流に変換することにより実現されます。それらの電流指令値とフィードバックされたd軸およびq軸電流との制御偏差をPIレギュレータなどの制御器に入力することで操作量としてd軸電圧指令値とq軸電圧指令値を生成します。さらに,同期回転座標上ではd軸電流制御系とq軸電流制御系との間に干渉が現れますので,その非干渉化も行われます。このようにして得られたd軸およびq軸電圧指令値は,逆回転座標変換と二相三相変換を経て静止座標上の三相電圧指令値に変換されます。三相電圧指令値はさらにパルス幅変調などを施されインバータやマトリックスコンバータのスイッチングに利用されます。
以上の概説から更に一歩踏み込んだ知識が必要な方は一般社団法人電気学会編「電気工学ハンドブック第7版」オーム社の21編pp. 1043-1078をお読みになることをお勧めします。